JR三鷹駅近くの法専寺で営まれた中村光毅さんの葬儀告別式に、フリーデザイナA氏とともに参列する。
中村さんには、生前、二度インタビューさせていただいた。二度目のそれは、マイコミジャーナルの記事で読むことができる。
境内に一歩足を踏み入れると、そこにはすでに、喪服の老若男女がずらり。さっそく、用意の香典を供える。
式は、お坊さんの読経に始まり、次いで、友人代表の方の弔辞、東映アニメーションの社長さんやタツノコプロの社長さんからの弔電などが読み上げられ、さらに、焼香の長い列が続く。
4年前、メカマンにうかがったおりには、中村さんご自身がハンドルを握り、ディレクター、カメラマン、そして、わたしを最寄り駅まで送り迎えしてくださった。
子どもの頃には、中村さんの作品に接して感激し、この世界に入ってからは、中村さんのお人柄に接して感激した。
献花台には、業界のそうそうたる面々からのお花がずらり。おそらく、この式場内にも、とても偉い方々がご列席のことと思うが、あいにく、お顔が分からない。
かろうじて、以前取材させていただいた、笹川ひろし先生、大河原邦男先生(先生ばかりだ)に、お声をかけさせていただく。
笹川先生に、「中村さんとは、長いお付き合いでしたね」と申し上げると、先生は、先に亡くなられた鳥海さんらの名をあげられ、タツノコ創世記のメンバーが減ってしまったことを嘆いておられた。
大河原先生に、中村さんのお人柄について申し上げると、中村さんは自分にとって先生だった。これからは、独り立ちしなければ、とおっしゃっておられた。いえ先生、十分、独り立ちなさっておられると存じます。
式は、その後も、棺を開いての献花、喪主で奥様の、よね子さんによるご挨拶、そして、出棺と、万事滞りなく執り行われた。
今回、中村さんの人生をわたしなりに振り返ってみると、信じられないほどのセンスのよさと、そして、ご本人にお話をうかがってみて初めて知った、その多忙さが印象に残る。
弔辞の中にも、奥様のご挨拶の中にも、「多忙」の二文字が含まれていたことが、象徴的だ。
今ごろは、先に亡くなられた吉田竜夫さんらとともに、下界を見下ろし、あのおやさしい笑顔を浮かべられながら、談笑されていることでありましょう。
わたくしも、いずれ、まいります。そのおりには、あらためまして、お二人にインタビューさせていただきたいと存じます。それまで、お好きだったツーリングなどなさって、ゆっくりとお過ごしくださいませ。
写真は、境内の中央に置かれた、中村さんが生前乗っておられたというお車。ロストフューチャーだ。
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