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2013年10月 6日 (日)

コラム【頭の良い人ほど人格者か?】

 わたしは子どもの頃、こんなふうに考えていた。

「頭の良い人ほど人格者だ。なぜなら、頭の良い人ほど知識も豊富で、かつ、それらを扱う能力も高い。したがって、自らのあり方をより深く省みることができ、よりよい方向に正すことができるからだ」

 しかし社会経験を重ねるにつれ、上の考えが誤りであることに次第に気づいてきた。

 今回は、これについて述べてみたい。

 まず、上述の考えの前半部分「頭の良い人ほど知識も豊富で、かつ、それらを扱う能力も高い」について吟味してみよう。

 この部分だけを取り出して考えれば、とりたてて問題はないように思われる。

 頭の良い人ほどよく勉強しており、当然知識は豊富だ。特に高度な専門性を要求される職業に就いている場合など、豊富で高度な知識を持ち合わせていればいるほど、周りの人たちからより頭の良い人と評されることだろう。

 また、知識を扱う能力の高いことも頭の良い人とされる条件の一つであろう。例えば、受験。受験とは、つまるところ、あらかじめ与えられた解法を与えられた問題により正しく当てはめ、より短い時間により手際よく正解にたどり着く能力の優劣を競う場だからだ。その結果、より高得点を獲得した者がより頭の良い人として扱われることになるだろう。

 では、上述の考えの後半部分「自らのあり方をより深く省みることが」「よりよい方向に正すこと」についてはどうか。

 この部分も、これ自体は問題なかろう。

 日々の自らの行いをより深く省みることができれば、そこから今後に活かすべき教訓をより多く学び取ることができ、自らを人格者としてより高みへと導いてゆくことができるだろう。

 すると、わたしが子どもの頃に考えたことのどこに問題があったのか。

 実は、上述の考えには暗黙の前提があったのだ。すなわち、「頭の良い人は、その頭の良さを自らを高めることに役立てるに違いない」という思い込みだ。ここに誤りが潜んでいた。

 考えてみれば、上で述べた、知識が豊富で高度なことや受験の能力に秀でていることなどは、その人が自らを高めようとする志の高さとはなんら関連のないことだったのだ。

 そして実際に社会に出て多くの人たちに接してみると、この思い込みが誤りであるという事実に直面することになった。頭の良い人たちの中には、その頭の良さを自らを高めることに役立てるどころか、自らを省みる必要などないと強弁することに巧みに利用する人たちもいたのだ。つまり、自己正当化のうまい人たちだ。

 こういう人たちの中には、ウソをついてごまかしているようにはまったく見えない人たちもいる。どうやら、自分のあり方は絶対に間違っていないと頭から信じ込んでいるようなのだ。こうなってしまっては、もはや人格者どころの騒ぎではない。自らのあり方を省みてよりよい方向に正すどころか、独善の道をまっしぐらである。かつて頭の良い人ほど人格者だと思い込んでいたわたしは、大きな失望を禁じえなかった。

 同様の見聞を繰り返すうちに、わたし自身は、独善の道になるべく踏み込まぬよう注意深く自らを省みて、よりよい方向に正すよう日々ささやかな努力をするようになった。いや、しているつもりなだけなのかもしれないが……。

 ところで、この文章をお読みのあなたの周りにおいでの頭の良い方たちはいかがであろうか。自らを省みることの多い方だろうか、それとも省みぬための言い訳に忙しい方だろうか。

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